「オカン、アスリート始めました。」まとめ(その1)

仕事・副業

「オカン、アスリート始めました。」まとめ(序章)から続く

 

【2009年秋】
仕事を辞めしばしの専業主婦生活を経て、子供が1歳になるのを待って再就職。望む仕事に就けない悔しさはあったけど、毎日遅れず保育園のお迎えに行ける距離と条件の企業で働き始めることができました。

一日中子供と二人で家にいる生活から、また社会に出て家族以外と接する時間ができたことで、少し気持ちも外向きになったのでしょう。初めてSNS(mixi)に登録してみました。学生時代の友人と疎遠になっていて連絡も取っていなかったので、SNSをやれば見つけてもらえるかと思ったのです。母校のコミュニティに登録したら、続々と小学校~大学までの友人と再会(ネットでですが)することができました。

よく分からないながらも、日記の機能やつぶやきの機能を使って、日々思ったことを好きなように書いてみます。と言っても書くことなんて限られていて、ほとんどが育児のこと。子供が熱を出した、子供が立った、「おかーさん」らしき言葉が言えた、、、そんな本当に日々のこと。

もう記憶になかったのですが、日記を見る限り、息子は度々熱を出していたようです。一度熱を出せば3日から5日は保育園を休んでいました。多くは近所の義母に頼りましたが、病院に連れていくため会社を休んだり遅刻したり早退したりが続きます。仕事に不満はあるけれど、電話一本で快く休ませてくれる職場は、やはり小さい子の母親にはありがたかった。やりがいのなさに気持ちが腐り始めながらも、子供が熱を出す度にストレスが安堵や感謝の気持ちに代わって我慢ができる、そんなサイクルで保っていたように思います。

 

「ワーキングマザー」の日々の生活はバタバタでした。

自転車で朝保育園へ息子を連れていき、一度家に戻って出勤時間ギリギリまで夕飯の支度と掃除と洗濯。仕事の昼休みにネットスーパーや生協の注文。朝から体調が悪そうな時は、いつ保育園から電話がくるかヒヤヒヤしていました。

定時退社して、急いで保育園へ。坂道も頑張って自転車を漕ぎ続けて背中に汗をにじませながらたどり着いても保育園の預かり制限時間ギリギリでした。帰りにスーパーに寄って買い物をする時は、息子の機嫌が良ければカートに乗ってくれますがそうでなければ片手に抱っこしたまま腕をプルプルさせながら店内を急いで物色して帰ります。帰って背中に抱っこしたまま台所に立ち、食べさせて、片付けて、お風呂に入れて、、、。

ただただ、育児と会社と家事をこなすだけの日々で3か月終わりました。年末、会社の休みに入ったとたんに、気が緩んだのか私もダウン。息子を義母に預けて3日間寝込んでいました。

 

【2010年冬】
SNSには引き続き育児のネタばかり。

夜泣きがひどく寝不足が続きます。毎日、会社では午前午後2本のカフェインドリンクでなんとか意識を保っていました。認可外保育園の対応への愚痴や、家事の分担についての旦那への愚痴、息子のイヤイヤでぐったり・・・と書いてあるだけの日記。

毎日、仕事(というよりも、会社に行っている時間、という感覚)と育児しかない。自分の時間が欲しい。今後のことや将来のことを考えたくても子供の呼ぶ声や鳴き声に対応して思考が分断される。あれほど好きだった、「考えること・書くこと・まとめること」に費やせる時間が24時間中どこにもない。勉強や調べものや考え事、やりたいことはたくさんある。子供が寝たあとに、と思っても毎日疲れて寝かしつけ落ちしてしまう。やりたいことどころか、家事すら滞る。

「書くようなことが何も起こらない」と日記をしばらく書いていないこともありました。

旦那とはよく喧嘩、というよりも一方的に文句を言いました。文句の内容は「家事育児の分担への不満」ではありましたが、それだけではなく「自分はやりたかった仕事を諦めて毎日我慢の日々を送っている」という苦しみを理解してもらいたかったのだと思います。結婚して10年経ちましたが、後にも先にもこの期間ほど喧嘩した時期はありませんでした。

 

【2010年春】
4月から、家から徒歩2分の認可保育所に入所することができました。これにより、朝夕30分ずつの余裕ができ、とにかく気持ちが楽になりました。認可外保育所とは比べ物にならないほど毎日の持ち物が多く準備と洗濯は大変でしたが、それだけマメに保育してくれているということ。息子もすぐに慣れ、驚くほど早く言葉が増えていきました。安心できる環境に息子を預けられて、気持ちに余裕が出ました。

6月8日、息子を寝かしつけ、旦那の夕食と片づけを済ませた後、気分転換にジョギングに出てみます。産前に履いていたランニングシューズで。

近所の小学校の周り、1周500mをゆっくり6周、3㎞。

結婚前にフルマラソンを数回走っていたし(と言ってもダイエットが主目的で歩かず完走したことはなかった)、結婚してからも妊娠するまではちょこちょこ走っていました。それから2年半ぶり、しかも妊娠出産を挟み体力もなくなっている身体です、もちろん同じようには走れなかったけど、ゆっくりなら20分ほど走り続けることができました。気持ち良かった。

また昔のように長く走れるだろうか。

翌日は8周、4㎞。次は3日後に10周、5㎞。よく眠れるしご飯が美味しい。清々しい。しかも、走っている間は望んでいた一人の時間。いくらでも考えることができる一人の時間。

子供が寝るのが19時から20時。旦那の帰りは21時ごろ。走り始められるのは22時というところなので、シャワーして寝るまでの時間を考えると、走れても45分程度でした。それがよかったのでしょう、いつも「もうちょっと走りたいな」という気持ちで終わることができたのです。それがモチベーション維持に繋り、走れる日は毎日走るようになりました。

 

【2010年夏】
たまに旦那が早く帰ってきた日や、土日に子守をお願いしたりして長く走れる日もありました。

最初は小学校の周り1周500mを何周したかで距離を計算してましたが、妊娠前に使っていたiPodとフットポッド(シューズに付けるセンサー)で距離をチェックするようになると、距離を伸ばす楽しみが加わりました。走る前に目標距離をセットしておくと、「〇km到達、目標達成です」などとイヤホンから聞こえて来るのです。目標を設定して何かをする、それ自体が久しぶりだった気がします。とにかく、走るたびにワクワクしていました。

初めて10㎞を超えたのは8月8日。走り始めてちょうど2か月でした。

寝かしつけに失敗して走れない日もあったけれど、それでもどうしても走りたい日は23時超えてからでも近所を走りました。

すっかりジョギングに夢中になっていました。
あれだけあった仕事への不満やストレスは気にならなくなり、好きなことをさせてもらっているという感謝の気持ちから旦那への家事負担についての愚痴もほとんど言わなくなっていました。

 

【2010年秋】
ほぼ毎日走っていました。9月の月間走行距離は150㎞。走り始めてから体重は3㎏、体脂肪率も2%落ちていました。

10月に入って夜走れない日が続いてちょっとモヤモヤ。そんなある日のこと、早くに寝かしつけ落ちしたせいで4時に目が覚めたので、そのまま思いついて走りに出てみました。いつも時間を気にして走っていたけど、さすがに早朝4時台に出れば、走りたいという気持ちより走れる体力が先に尽きてしまいます。もう十分、と思えるまでたっぷり走れて大満足しました。

それを機に、21時に寝て4時に起きる生活を始めることになります。朝型生活スタートです。
朝走ることはメリットだらけでした。とにかく走れるかどうか心配することがなくなりイライラしない。胃の中に食べ物が残っていないから走っても気持ち悪くならない。朝から汗をかいて気持ちいい。朝ごはんが美味しい!
ただ、夜走るよりは走り始めの脚が重いようでした。だいたい4㎞を過ぎたころから軽くなって普通に走れるので、6㎞や7㎞では気持ちよく走れるところがあっという間に終わってしまうのです。それが嫌で、せめて10㎞走ろう、と1回の距離も長くなる傾向にありました。

11月に入り、ついに20㎞続けて走れるようになりました。だいたい1キロ6分30秒ペース(スマホに変えてGPSアプリ導入によりペースが分かるようになった)。5㎞くらいなら5分40秒のペース走ができるようになりました。よし、、、ここまで走れるのなら、ハーフマラソンに申し込んでみよう!年明けに近所の公園で行われるハーフマラソンにエントリー。

いや、、、それなら、もうその先も決めてしまおう。先の目標があった方が頑張れる。と、なんと同時に3月のフルマラソンにもエントリーしてしまいました。

フルマラソンを走るにはどんな練習をすればいいのか、インターネットで勉強を始めます。ぼんやりと目標も定めました。産後初フルマラソンの目標は、4時間20分。
ちなみに、産前のフルの自己ベストは4時間45分くらい。走ることへの情熱があのころとは全く違う。きっと超えられると思いました。

 

【2011年冬】
1月9日、近所の公園で行われたハーフマラソンに参加しました。産後初めて出るマラソン大会。最後に出た大会から4年以上経っていて、何もかもが懐かしい。更衣室で着替えている女性は皆本格的なウェアに身を包んでいて、自分みたいなジョギングしかしていない人が出るような大会じゃなかったかな?と走る前から不安になりました。

練習と同じようにしか走れないので、練習と同じように音楽を聴きながら。レースプランは「いつも通り走る」でしたが、目安は1キロあたり6分の2時間6分が目標です。妊娠前に走ったハーフマラソンのベストもそれくらいでした。

少し緊張したまま、スタート。
最初雰囲気に釣られて少し速くなりましたが、概ね練習通りに気持ちよく走れていました。苦しくなったらペースを落として、抜いても抜かれても気にせず、練習通りに。

ラスト1周半(4㎞)あたりで、視界に見慣れた姿が入ります。旦那が、息子をかごに乗せて自転車で応援に来てくれました。

「おかーーさーーん!がんばって~!」
「わ~~ありがと~~!!」

来るなんて言ってなかったからびっくりしました。とっても嬉しかった。走ることについて旦那との会話で話題にしたことはなかったし、これについて何も言われなかったからてっきり興味がないと思っていました。毎日のように走りに行くことや、土日に子守を頼んで2時間も走りに出ていること、多少なりとも迷惑をかけていると思っていたから、、、減らしてほしいなどと言われるのが怖くて話題に出せなかった。応援に来てくれるってことは、少しは関心を持ってくれていたんだ。そう思えて、とても嬉しかったのです。

これでテンションが上がり、最後少しペースを上げてみようと思いました。手元の時計を見ると、あれ?2時間までまだずいぶんあります。これは、2時間切ったりできる状況なのかしら??とっさのことで計算できなかったので、とりあえず「必死のペース」に上げてみることにしました。
結局そこまでではなくて、ゴールタイムは2時間1分25秒。しかし目標タイムもクリアして、産後のハーフマラソンのベストタイムもあっさり更新してしまいました。

目標達成はとても嬉しかったけど、終わってから、もっと突っ込んで走っておけばよかったなあ、と少し後悔。普段通り走る、が今回の考えだったけど、せっかくレースに出るならもっと一人じゃできないようなことをしないともったいない気がするな。次はやり切ってゴールできるように頑張ろう。そう思いながら、応援にきてくれた旦那と息子と、そのまま公園の遊具で1時間ほど遊んで帰ったのでした。

その翌日から、3月のフルマラソンに向けての勉強と練習メニューの組み立てを始めます。買った本は「eA式 マラソン走力UPトレーニング」。本が想定しているレベルが高すぎてとても取り入れられるものではないと思ったのですが、来年のために、と練習メニューをサマリーして日記に書いています。

参考にして自分で初めて作った練習スケジュールがこれ。
1/17~)休、JOG40、JOG60、休、JOG40、LSD150、jog90
1/24~)休、JOG40、JOG60、休、JOG40、LSD180、jog90
1/31~)休、JOG60、ペース走10km、休、JOG60、LSD180、LSD120
2/7~)休、JOG60、ペース走10km、休、JOG60、LSD180、LSD120
2/14~)休、JOG60、ペース走10km、休、JOG60、LSD120、ロング走20km
2/21~)休、JOG60、ペース走10km、休、JOG60、LSD120、ロング走20km
2/28~)休、JOG30、ペース走10km、休、JOG30、JOG30、本番

走るペースは速くないものの、土日で5時間走ったりと結構なボリュームです。平日は5時に起きてジョグかペース走、土日は4時に起きてLSDかロング走。雨の日以外は完全に計画通り走り、着々と走行距離を積み重ねていきました。

 

メニューに沿って走り始めて3週間ほど経った1月30日、初めて180分のLSDがこなせました。これまでの最長距離28㎞を走り切ることができました。

その2日後のことです。いつものようにジョグに出て、ウインドスプリントでスピードを上げた瞬間、左太もも付け根に強い痛みが走りました。とても走り続けられる状態ではなく、ゆっくり歩いて帰りましたが、立っているのも辛い。すぐに近所の整骨院へ。

ハムストリングス(太ももの後ろ側)の肉離れ。走らず安静にして、徹底してアイシングしていれば2週間ほどで治るでしょうとのこと。2週間・・・その間走らなければ、3月のマラソンには間に合うということか。タイムはともかく、走ることはできるのか。よし、、、やってみよう。

20分ほどかけて徒歩で通勤していたのも止めて自転車に変え、できるだけ立たず歩かず、座って安静にする生活に変えました。常に着圧タイツを履き、痛みのある部分に氷嚢を突っ込んで、会社でも常にハムストリングスに氷嚢を当て続けます。台所にも椅子を置いて座って料理、息子を抱っこするのもソファに座ったまま。
保育園を延長したり義母に来てもらって息子を頼んで毎日通院しました。鍼をやったり電気を当てたり。

歩くのも痛いのでもちろん走りはしない。徹底して安静にしているつもりでしたが、それでも日に何度も13㎏の息子を抱いて立ち上がることがあり、その度に激痛が走ります。旦那もちょうど忙しい時期で息子をお風呂に入れる時間には帰って来れず、痛みに顔をしかめながら息子をお風呂に入れていました。協力をお願いしたいところでしたが、趣味で負った怪我なので言うに言えず、できるだけ痛いことを我慢して隠していました。

2月18日、発症して3週間。一向によくならず引かない痛み。初マラソンまで3週間しかなく、もう無理だと思いました。整骨院で、「先生、もういいです。今回は諦めます」と宣言。先生に「すみません、、、治せなくて、、、すみません」と謝られ、ベッドに伏せたままボロボロ泣いてしまいます。
泣くほど楽しみだったのか、泣くほど出たかったのか、、、、自分でも驚きました。

 

約3か月、ほぼ毎日走っていました。今客観的に見て、故障をしてもおかしくないほど走っていました。

仕事を止め家に籠り子供と二人きりの生活、再就職してもやりがいない仕事とただ時間に追われるだけの日々。それに光を与えてくれたのが走ることでした。努力すれば速くなって距離が延びるという分かりやすい成果が出て夢中になりました。

そんな楽しい日々が、突然の痛みによって中断されました。

無計画ではだめなのだ。走りたいから走る、ではだめなのだ。どうすれば故障せずに走れるのか、ちゃんと勉強しよう。ちゃんと計画しよう。

第一回大阪マラソンに申し込み、4月からのランニング計画を立て始めました。

 

こうして、フルマラソン挑戦はかなわぬまま、最初のシーズンが終わりました。

 

 

マラソン2年目、月間300kmの足跡(日記まとめその2)に続く

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