「オカン、アスリート始めました。」まとめ(序章)
「オカン、アスリート始めました。」のもっともっと前。
「オカン」にもなる前のことです。
自分語りで恥ずかしいのですが、私のブログがあんな内容である理由が、少し分かってもらえるかなと思って、書いてみることにします。
若い頃はMC業でした。キャラクターショーで仮面ライダーを呼ぶ下積みから始まり、イベント司会、ブライダル、ナレーション、時にはテレビに出たりもしました。
その後IT系2社の営業職を経て、誘って頂いた金融系企業の大阪営業所で営業・マーケティング職に就きます。IT時代にいくつかのプロジェクトで勉強させてもらった経験が生きて、かなり大きな顧客の営業企画を任されていました。夜中まで会議室で一人ホワイトボードに課題解決策やアイディアを書きなぐり、徹底したシミュレーションで考えうる課題を先に潰すスタイル。考える。想像する。思いついたらどんどん書く。そうして自分の頭の中から生み出された物をうまく伝えられて人を動かせたとき、これ以上ない喜びを感じました。膨大なデータを分析して次のアクションを提案するのも大好きで、家に帰ってもすぐPCへ。どんな切り口があるかAccessをいじりながら考えていたら気づけば朝、なんてことも度々でした。
とにかく仕事が好きでした。面白かった。どんな課題に直面しても、過去の経験との共通点が必ずある。考えるのが、書くのが、まとめるのが、好きでした。
そうして仕事に夢中になりながらも、一方で結婚出産もライフプランにありました。30歳過ぎて出会った主人とお互いの条件を綿密にすり合わせして方向性の一致を確認してから付き合い始め、1年も経たずに結婚。計画的に小作りして計画的に妊娠。大きいお腹で飛行機に乗って本社会議に出たのを最後に、妊娠8か月で産休に入りました。
もちろん、1年で戻るつもりでした。これからの業界だし、まだまだやりたいことがたくさんありました。子供を産んだら今までのようには跳び回れなくなるだろうけど、事務所内でも時間が限られていてもできることはあるし、横展開できるスキームを考えて会社を大きくすることに貢献しようと思っていました。
子供服を手縫いしたりしながらのんびりマタニティ期間を過ごし、無事予定日に出産。そのまま予定通り育児休暇に入って3か月ほど経った時、会社からの呼び出しを受けます。
ベビーカーを押して入った会議室に待っていたのは、本社人事の役員でした。
「年内で営業所を閉めるので、育休復帰後は東京本社勤務となります。」
あまりに突然のことに驚きを隠せませんでした。同僚とは連絡を取っていましたが、そんなことは何も・・・。1歳の子を連れて単身赴任??そんなことが可能なんだろうか?いや、そもそもそんなことを主人や義父母が許すはずもない。主人は手に職を持つ身だし、これを機に東京に転職してもらおうか・・・?
しかし担当者の意図は違うところにありました。
「今、退社を選択すれば、これだけの退職金を。」
年収にして2年分ほどの金額を提示されての早期退職提案でした。育休復帰潰しなのかと疑いましたが、親会社が大きな損失を出し、グループ全体で人員削減を計っていたそうです。
迷いました。誰もが知る大きな会社のグループで、給料も相当額貰っていたし、何より面白い仕事をさせてもらっていた。ここで退職して、同じような環境に就ける可能性はゼロに近い。しかし、もう戻る場所は大阪にはないのです。東京へ行くか、辞めるか。
帰って主人や親、義父母と相談の上、退職を決めました。
スキルや経験がある。また探せばいい。給与面はともかく、どんな会社にだってプロジェクトはある。今までの経験が生かせる場があるだろう。そう思っていました。
義父母に協力してもらいながら働けるように、主人の実家の近くに引っ越します。転がり込んできた多額の退職金を頭金にして家を建てました。専業主婦の間は、とにかく勉強。スリングや抱っこひもで子供をゆらゆらし寝させたあとはひたすら本を読みました。求人条件に多い英語力を高めようとビジネス英文を読みまくったり、以前から興味のあった統計学の本を図書館で借りてきて読み漁ったり。
子供が1歳の誕生日を過ぎたころから、本格的に職探し。実家に預けて職安に行ったり、派遣会社の登録に行ったり。中には産前によく出入りしていた会社もあり、面接を受けてその頃の話で盛り上がった時もありました。
給与面の条件はガクッと下がるのですが、やってみたいと思う仕事はいくつもありました。また以前にような仕事に戻れるかも、そう思ってワクワクしたりもしました。
しかし、就業条件が合いません。私の望む職種は営業、営業企画、マーケティング。まず、残業なしがありえませんでした。残業20時間程度としても、大阪の中心地までの通勤時間を考えると保育園は毎日延長、最悪は保育園で夕食を取らせるような生活になることは容易に想像できました。
そりゃあ、そうか・・・。産む前の自分の生活を思い出せば当然。何度、残業100時間を超えて怒られたか知れません。顧客が土日休みでなかったため妊娠前は土日もよく出勤していました。
しかも、自分が途中で切り上げられない性格なのがよく分かっています。気になったら、いいアイディアが浮かんだら、すぐに文字に起こしたい。フロー図を書きたい。タスクの洗い出しをしたい。線表を引きたい。お迎え時間が迫っていても仕事を止められない自分の姿が思い浮かんで、、、それを選んだら崩壊はあっという間だ、と希望職種を検索条件から外しました。
また飛び回りたかった。
でも、それはもう叶わない。事務職でいい。決まった時間に帰れることを優先しよう。小学校に上がれば、またチャンスが来るかもしれない。
そう決めてもなかなか職が決まりませんでした。
残業なしの職場はやはり人気で、マイナス条件があれば簡単に撥ねられてしまいます。事務職の経験はなく、履歴書に並ぶのは司会業、講師業、システム営業、マーケティング。ルーチンワークに適性があるか疑わしき職歴ばかり。
もちろん「子供1歳」という条件も好まれはしなかったでしょう。
はっきりと「オーバースキル」と断られた企業もあったので、IT系の会社にいた時に大量に取ったIT資格を書くのを止めました。
これまでの人生、職に就くのに苦労したことはありませんでした。うちに来ないかと声をかけてもらったことだって一度や二度ではない。これほどまでに、変わるのか。子供を産むと、条件が変わるのか。東京であれば違うのかもしれません。いや、大阪でも、中心地にほど近いところに住んでいて、実家のサポートがあれば変わらず働けたのかもしれない。
もう、どこでもいいから働かせてほしい。職が決まらないことに焦っていたし、このまま家にいるだけの生活が嫌でした。飛び回らなくてもいいから、何かに頭を使いたい。仕事がしたい。
ほどなくして自転車で15分の地元企業の事務に決まりました。仕事内容は単純で誰でもできるもの、しかし業務に効率化余地が多くみられました。時期を見て提案させてもらおう、と日々の業務を黙々とこなしました。
年度途中で認可保育所は受け入れられず、認可外の小さな保育所へ入所します。庭もない建物だけの保育所。8畳程度の部屋に何人の歩く前の幼児が入っているのだろう・・・。しかも定時ダッシュしてもお迎え時間は18時ギリギリでいつも最後の2~3人。18時以降の延長制度がなく、汗だくでママチャリを漕いでも締切5分前に到着する毎日。迎えに行ってそのままスーパーへ寄り、抱っこひもで10㎏の息子を抱えながら夕食の買い物、おんぶしながら料理と掃除、、、毎日へとへとでした。
主人に当たり散らしたら、電動自転車を買ってくれて通勤は楽になったけど、モヤモヤした気持ちは収まりませんでした。
「ここまでして、やりたい仕事じゃない。」
仕事が、、、つまらなかった。10年かけて積み上げたスキルは何一つ使わない。プロジェクト管理も、業務フロー設計も、課題管理も、プレゼンテーションも、Accessも、PowerPointも、なんならExcelの関数すら使わない。ピボットテーブルとVLOOKUPで10分でできる仕事に3時間を費やしている人がいても提案できる立場にない。マニュアルを作っても、そもそも操作が難しいと覚えようとしてもらえない。お呼びじゃないのだ。効率化を図ることが必ずしも良しではない業界はまだたくさんあるのだと知った。
帰れば子供が可愛くて、毎日何か成長をしてくれて、それを見ることで抱きしめることで癒されたけれど、主人とはよく喧嘩をしていました。
「私はいろんなことを諦めて生きるのに、男の人は何も変えなくていい!」
今思えばあの時期は主人もしんどかったと思う。毎日の夜泣きで子供に起こされ睡眠時間が減って仕事の効率が落ちる上、嫁には早く帰ってよと言われて仕事を持ち帰るしかない。帰って嫁の愚痴を聞き、それが落ち着いたと思ったら、また息子は泣き始める。持ち帰った仕事は朝方起きてやるしかない。
愚痴ったり怒ったり一方的に責めたてた後、冷静になれば主人がいかに協力しようとしてくれていたかは分かったし、頑張って働いて疲れて帰ってきた家の中がこんな状態ではダメだと思った。
だめだ。このままでは、家庭内の雰囲気が悪くなる一方だ。
何か、仕事以外に、夢中になれるものを作らなければ。
何か、夢中になれることがあれば、このやりがいがないストレスから抜け出せるはず。
いくつか好きなことを探求し始めます。勉強が好きだったので、また英語をやろうか。それとも在宅でできるようにプログラミングでもやろうか。いや、職歴なく使ってもらえるわけないな。仕事から目を離そう。全く違うことをやろう。
最初にはまったのは音楽。昔好きだったバンドの新譜を聴きあさったり、最近の人気のバンドを片っ端から聞いてお気に入りを探したり。そして結婚前にやっていたジョギング。産後太りの解消も兼ねて、息子が寝て主人も在宅の状態を見計らって玄関を出ました。iPodで好きになったバンドの曲をガンガン耳に流しながら、ゆっくり走り始めます。
最初はほんの3キロが精一杯でした。3~4曲聴いて帰ってくるだけ。それでもひと汗かいて、疲れてぐっすり眠れました。
それから週に2回か3回、息子が寝てから1回30分だけ走りに行きました。走れるようになってくると物足りなくなり、40分、1時間、と走る時間が伸びて行きます。そうなるとどうしても帰りが遅くなってしまう。近所とは言え女性が23時を過ぎて走るのは褒められたものではないし、また翌日の仕事にも支障が出るため、なんとか早く走りだせないかと毎日気になって過ごすようになりました。
体力がついてきてなかなか寝ない息子。その背中を、走りに行ける格好で「ぽん、ぽん」し続けて寝かしつけました。しかし、息子が早く寝た日も、主人の帰りが遅ければ走れません。主人は帰りが22時を過ぎることも度々あり、そう毎日は走れませんでした。
ストレス解消のために始めた趣味が、またストレスを生み始めます。
ある日の事、ランニングタイツ姿で寝かしつけながらそのまま寝てしまいます。目が覚めたら4時。息子も旦那もよく寝ている。
・・・今から走れるんじゃないの?
音を立てないように静かに寝室から出て走る用意をし、そっと玄関ドアを開けました。冬も近づく朝の冷たい空気。次第に明るくなっていく景色の中走ることに、何とも言えない贅沢さを憶え、気分が高揚したのを覚えています。
その翌日から朝ランに切り替えました。息子の寝る時間や、主人の帰宅時間に関係なく、走ろうと計画した日に走ることができるようになりました。走行距離とともに自信も積み重ね、その一カ月後フルマラソンにエントリー。そこに向けての計画的トレーニングを開始することになります。
情報収集、目標を立ててプランニング、実行、課題の発見、解決策の検討、計画修正、進捗管理、目標達成度の評価、データ分析とそこからの展開・・・。
何も仕事じゃなくてもいい。やりたかったことはここでもできるじゃない。やろう、マラソンプロジェクト、やろう。
腐りかけていた新米ママ、いや、大阪の新米「オカン」は、こうしてアスリートを目指して走り出したのでした。
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