マラソン2年目、月間300kmの足跡(オカンブログまとめその2)
トレーニング研究
「オカン、アスリート始めました。」まとめ(その1)から続く
【2011年春】(息子2歳)
2月に突然訪れたシーズン終了。スッパリと諦めて、3月はリハビリに徹しました。走ってもゆっくりゆっくり、1回30分まで。すぐに次のシーズンの練習が始まるので、いつまでも凹んではいられない。まずは治すこと。
4月に入って少しずつ走る距離を延ばし始めます。慎重に慎重に。とにかく1キロ7分ペースを守りました。
4月25日、待ちに待った第1回大阪マラソンの当選発表!
やった!当たった!!!
幸運にも第1回大会を走る権利を得ることができました。一気にやる気が膨らみます。10月30日本番まで約6か月。走りたい!精一杯走りたい!
準備してきたのに出場が叶わなかった悔しさも手伝って、とにかくやる気に満ち溢れていました。
(4月月間走行距離:200㎞)
5月1日、スタートに相応しいキリのいい日。参考にしていた「eA式マラソントレーニング」に沿ってトレーニングメニューを作成しています。
週5日、50㎞~60㎞走るメニュー。
参考書やランニング雑誌のクリールを熟読し、書いてあった筋トレも実践。ランジとスクワットとプランクをやっていました(全て自体重のみ)。
計画を立てたその週末、さっそく150分LSDを実施します。約22㎞走破。100分を超えたころから、初めて「お腹が空いて力がでない」を体験します。それまで、走っている途中に補給したことはなかったので、「ああ、練習でも途中でエネルギーを補給しないと長く動き続けられないんだ」と初めて気づきました。その後数年にわたる補給の研究が、ここからスタートしました。
(5月月間走行距離:270㎞)
【2011年夏】(息子3歳)
6月も、5月1日に立てた練習計画をこなし続けています。週末のロング練習は毎週180分になっていました。180分走る=家を180分以上不在にする、ということ。その時間丸々旦那に子守してもらうのが申し訳ないので、息子が起きる前に帰ってこれるよう走り始めの時間をどんどん前倒しにしていました。
土日は早朝からロング走、平日も朝10㎞走って夜も21㎞走ったり・・・。24時間中2~3時間はランニングに時間を費やしていました。
そしてついに、
初めて月間走行距離300㎞に到達しました。
月間300km、走る習慣がついている人でも、そう簡単に達成できる距離ではないと思います。でもその頃の私には、そう苦労して到達したという記憶はないのです。平日1時間、土日は2~3時間の楽しみの時間でした。
・・・当時息子は3歳。もちろん可愛くて仕方がなかったけど、まだまだ目を離せる時期ではありません。何をしていてもその存在が常に耳に目に脳に突然入り込んでくる。呼ばれる度に、はいはいなになに~って飛んでいって、うんうん、って話をして、、、落ち着いてものを考えられる時間が全くなかった。自分一人の時間がとても贅沢でした。
朝早く起きればその贅沢な時間が手に入った(主人が同室で寝ています)。好きな音楽、気持ちいい運動、外の空気。その延長の、月間300kmでした。
(6月月間走行距離:304㎞)
7月も当たり前のように毎日10㎞20㎞と距離を重ねていました。
走っているのはほとんどがキロ6分~6分30秒のペース。気持ちよく走るのが主目的だったので、しんどいペースに上げて練習しようという感覚はあまりありませんでした。それでも走る時間が十分に長ければ少しペースを上げた時の余裕度も上がっていて、どんどん走れるようになっているのを感じていました。
7月も月間300km超え。
今ならこんな練習の仕方はしません。もっと効率よく、より効果のでる練習と休養を組み合わせて目標に向かっていくと思います。しかし、この頃はこの「6分30秒ペースで月間300km」が、最も楽しく続けられる贅沢な時間の使い方だったのです。
(7月月間走行距離:320km)
8月はさすがに気温が高くなって短い時間で切り上げることもあり、暑さに弱いなあと嘆いていました。なんとか気分を盛り上げていこうと、1人で大阪マラソンのコース試走を開始しました。
8/27大阪マラソンコース試走(33km地点→GOAL)(前後入れて22.5㎞)
8/28大阪マラソンコース試走(23km地点→33.5km地点)(前後入れて17.5㎞)
二日であっさり40㎞。ペースは速くないとはいえ、こういうことは全く違和感なくできるような身体になっていたのです。ゆっくりならいくらでも走れる気がしていました。
(8月月間走行距離:291km)
【2011年秋】(息子3歳)
大阪マラソン本番まで、あと2か月。そろそろ目標を設定するべきかな、と思い始めます。
子供を産む前に数回走ってるとは言え、こんなに本格的に練習していなかったし、一度も歩かず完走したことはありませんでした。4時間50分くらいがベストタイムだったと思います。
走れず終わった冬のマラソンの目標は、もちろん「完走」でした。十分に走り込んで長い距離に耐性はできたはずなので、完走はできるでしょう。あとは走るペースをどうするか、そしてその先にあるゴールタイムの目標を、どこに置くのか。
「サブフォー。フルマラソン4時間切り。」
もちろん意識していました。「フルマラソンで4時間切ることをサブフォーと呼んで、一つの大きな区切りらしい。」と知り、いつしかそこに挑戦したいと思いながら走っていました。
でも、フルマラソン42.195kmを4時間以内で走るためには、1㎞あたり5分40秒ペースで走る必要があります。そのペースは、その頃の私にとっては到底40㎞走れるようなものではなく、なんとか耐えて走り続けられるペース。
頭の中で、「目標はサブフォー」「いやいや、サブフォーなんて遠い」の繰り返しでした。
フルマラソンの前にハーフマラソンを1本入れていたので、まずはそこで2時間切れるように走ろうと、9月の頭に5分40秒ペースで長く走ることに挑戦しています。
しかし、その2週間後、練習にと出た3時間走イベントで、1キロ6分ペースさえ保てず、3時間走り切ることもできずエイドで休憩してしまったことで自信を大きく失います。(当日の気温は34℃でしたが、暑いのは言い訳、走力不足・対応力不足だと思っていました。)
しかもその翌日の練習会で20㎞走り切ることができなかった、悔しい、と日記に書いています。その後体調を崩して点滴を受けていたり。あれだけ楽しく走っていたのに、大会が目前になってきて走ることがプレッシャーに変わっていきました。
「サブフォーに挑戦する」という自信を持ちたくて、でも練習する度に自信を失って。
それもそのはず、気温などの悪コンディションや疲労が抜けないまま走っていたのです。焦りで走ってばかり。悪循環を生んでいました。
大阪マラソン1か月前、初めて「30㎞走」に挑戦してみます。その日に合わせて前二日は練習を休みました。
補給や疲労感などの課題も見つけ、ああ走ってばかりではいけないんだ、という当たり前のことに、ここでやっと気づきました。
本番1か月前、ついに「サブフォー目標で走る」と決めました。
(9月月間走行距離:320㎞)
10月、ついに本番月。
まず月初に練習レースでハーフマラソンを入れていました。大阪マラソンの設定ペースで走るつもりでしたが、、、
まともに走ったことがないペースで21㎞を走り切り、1時間49分台で走れました。そうか、走ったことがないペースでも、レースになると走れるものなのか、ということに驚きました。
しかし大阪マラソンはこの倍の距離。その後も不安から30㎞走を1回、10マイルマラソン1回、大阪マラソンコース前半21㎞試走、と走りまくっています。
そしてついに本番4日前。今や「オカンブログ」の恒例となったレース前のアレ、もうやっています。レースシミュレーションです。
ランスカ履いてますよ(笑)そんな時代もあったのです(笑)
そしてついにその日がやってきました。
グロスタイム(号砲からゴールまで)、04:04:54。
ネットタイム(スタートライン通過からゴールまで)、03:58:21。
30㎞まで綺麗な5分30秒ペース。練習よりも楽に走れて、日記にもあるように息が上がらず走り続けることができました。そこまでで作った貯金のおかげで、後半ペースダウンしても間に合いましたが、35㎞過ぎてからは間に合うかどうかが分からずとにかくヒヤヒヤ。
でも38㎞あたりから生まれた不思議な感情、「もう終わっちゃう」には我ながら驚きました。ここまで半年頑張って来たことを思い出して、何とも言えない寂しさに襲われたのです。もちろんこのマラソン大会で結果を出そうとやってきたことだけど、私はあの走ってきた日々が好きだったんだな。あれだけ打ち込める日々が好きだったんだ。そう思いました。
練習が好き。そのための計画が好き。練習のあとの振り返りが好き。それは、あの頃も今も変わっていません。
こうして、「オカン、アスリート始めました。」の原点となる、産後初めてのフルマラソンが終わりました。
サブフォーからその先へ。故障でロードバイクと出会う(オカンブログまとめその3)につづく。
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